hayaokishufu’s diary

午前3時から始まる早起きママの日常

長女の“純日記“

初めて読んだ時、なんだか“ドキッ“とした。


普段、多くを話さない彼女の気持ちが、素直に書かれていた。


どこで覚えたのか…なんだか大人っぽい表現に、思わず、自分で書いたの?と聞いてしまった。


ノート半ページの日記…


まさに“純日記“だった。


学年が上がり、小学校生活も、折り返しを過ぎた。宿題の量も増え、求められることも、高度になった気がする。


連絡ノートの宿題の欄には、毎日“自学“と書かれている。ベースは決まっているが、細かいことは、自分で決めて、学習するという意味だ。


どうやら、その中に、毎日日記を書く‼︎という課題があるらしい。


連絡ノートには、そこまでは書かれていなかったので、私は知らなかった。


ある日、どんなことをしているのかな?と思い何気なく、そのノートを見た。


そこには、家族で花見に行った時の、自分の気持ちや、自分が見た景色の様子が、短い文章ながら、とても綺麗にまとめられていた。


いつの間に、こんなにしっかりした文章が書けるようになったんだろう‼︎という驚きと共に、改めて知る、彼女の素直な気持ちに、嬉しさと照れ臭さが入り混じり、私はドキッとした。


決して無口ではないが、自分のことをあまり話さない彼女。感情はもちろん、学校であったことや、友達とのこと等…

だからこそ、たまに、彼女は、どういう気持ちでいるのだろうと、心配になることもある。



彼女の日記は、今までにも見たことがある。

夏休みの絵日記だ。


“楽しかった““嬉しかった““また〇〇したい‼︎“等、まさに、子供の絵日記だ。



しかし、今回の日記は、それら、よそ行きの物とは違い、普段の彼女の何気ない日常が、背伸びすることなく書かれているように感じた。


親でも、知っているようで、本当は、知らない子供の気持ち。こんな形で知れるとは、思ってなかった。


そんな時、はてなブログさんの記事で、“純日記“と言う言葉を知った。

その記事を読み、まさに、このことだと感じた。

もちろん、長女は、純日記という言葉は知らない。でも、その日記を読んだ私が、そう感じたのだ。


きっと、本人が、純日記を書こう!と意識するものではなく、それを読んだ、相手が、書いた人の気持ちを受け取り、感じることなんだろうなぁと私は理解した。


誰に対して書いた訳ではない、その想いが、誰かに読んでもらえて、その気持ちを受けってもらえる。その解釈も、自由で、様々だ。


想いを綴る…とても素敵だなぁと、改めて感じた。


長女の日記を初めて読み、ドキッとして以来、私がその日記を読むのは、彼女が目の前にいない時だ🤣

何故か緊張している…

不思議な感覚… 


そして、そこには、授業参観に私が行くことを楽しみにしている!とも書かれていた。


それが今日だった。


黒板の前に立ち、パソコンを操作しながら、クラスメイトの前で発表する彼女は、また、私の知らない、堂々とした姿だった。