hayaokishufu’s diary

午前3時から始まる早起きママの日常

“愛車“を手放した日

私は、車を運転しない。


免許証は取得しているが、いわゆる、ペーパードライバーだ。


その為、私にとっての愛車とは、我が子を乗せて、どこまででも行く、“ベビーカー“のことである。


このゴールデンウィーク、ベビーカーを、次に使ってくれる方に譲った。よくよく知っている方。


長女出産時に購入し、車を運転しない私の子育てには、なくてはならないアイテムだった。


そんなベビーカーを譲ることは、私にとっては、大きな節目。

大切な思い出を、ここに書き記そうと思う。


ベビーカーは、さまざまな価格帯のものが存在する。高い物は、その機能が本当にすごい。


しかし、私が愛用していた物は、一万円台で買える、至ってシンプルなものだ。


約10年愛用した。


譲り渡す前日、拭き洗いをした。

故障はもちろん、目立った傷や汚れも見当たらず、使用頻度の割には、とても綺麗だった。


長女が赤ちゃんだったとき、近所を散歩する為に使っていた。

当時、出かける時に、主に使用していたのは、抱っこ紐。その為、使用頻度としては、余り多くはなかった。


しかし、次女が産まれてからは、違った。


一歩外に出るのには、欠かせないアイテムとなった。その使用頻度の多さこそ、私が“愛車“と呼ぶ所以だ。


まだまだ幼い長女をベビーカーにのせ、次女を抱っこ紐で抱っこする。

近所での買い物や散歩はもちろん、予防接種で病院に行く時は、特に欠かせなかった。


少し距離のある病院へは、バスやタクシーで移動していた。

病院での長い待ち時間も、車があれば、車内で待つことができるのだが、車の乗れない私には、それが出来ず、ベビーカーが、その車代わりだった。


さらに、長女が幼稚園に通いだしてからは、それまでの外出に加え、未就園の次女を連れて、幼稚園へ行く‼︎という目的が増えた。


徒歩で片道、20分程。日常の送り迎えは、園バスにお願いしていたが、それ以外は、徒歩だ


市を循環しているバスもあったのだが、半時間に一本しか来ないバスを待つ時間や、他の停留所を周る時間を考えると、ベビーカーを押して歩くのと、さほど時間は変わらなかった。


そして、何より、時間や周りを気にせず動けるので、気楽だった。


しかし、それは、天気がよく、時間に余裕のある時の話だ。


幼稚園へ行く頻度は、年々増し、長女が年長になる頃には、保護者役員の仕事や、その他も合わせると、平均で週3、多い週は、ほぼ毎日。時には、午前と午後、1日2回往復していた。



夏の暑い日には、ベビーカーにアイス枕を乗せ、冬の寒い日には、膝掛けを。

少しぐらいの雨や雪なら、次女に傘を持たせて、ベビーカーに乗せていた。

自分は、汗だくでも、雨や雪で濡れようとも、子供には、そんな目に合わせたくなくて、とても神経を使った。


その為、家に着く頃には、クタクタだった。


そんな私の日常を支えてくれたのが、“愛車“だ。

いつか、壊れてしまうのではないかと、不安になるぐらい利用した。壊れてしまっては、本当に、私の生活は、成り立たなかった。

大変だった、子供を連れての徒歩での移動も、“愛車“のおかげで、なんとかやりきることが出来た。


感謝しかない。


約10年、一度も買い替えることなく、頑張ってくれた。


我が家にとって、子供たちが、赤ちゃんから使っていたアイテムは、このベビーカーが最後だ。

今まで、使わなくなった物は、その状態を考えると、捨ててしまうことが多かった。


しかし、ベビーカーは、次に使ってもらえることができた。


最近は、“リユース“と言う言葉が当たり前になった。我が家も、少しだけ利用したことがある。

だが、その目的は、“使わなくなったものを売り、お金にする‼︎“と言う方が、強かった。


しかし、今回は、違う。


ベビーカーと過ごした時間を考えると、誰かに使ってもらえることが、とにかく嬉しい。

決して、機能性に優れているわけではない。さらに、購入は、10年も前だ。


普通なら,新品で、今の時代にあった機能を備えているものの方が良いはずだ。


しかし、どうかな?と聞いたとき、ありがとう‼︎と言ってもらえた。


実際、昨日、譲り渡したときには、“思ってたよりすごく綺麗だね“と言ってくれた。なんだか、自分が褒められたみたいに嬉しかった。


私の愛車は、きっとこれからも大活躍してくれるでしょう。


そして、いつの日か、知り合いの赤ちゃんを乗せて、私がそのベビーカーを押す日が来ることを楽しみにしている。


今まで、本当にありがとう。

また会う日まで…